バス釣り”道”(どう)

こんにちは、やましたです。
僕はこれまで結構長いこと(それこそ10年以上)、バス釣りをやってきたのですが、
その中で、
「バス釣りって ”道”(どう)だな。」
ってつくづく感じてきました。
どういうことかというと、
バス釣りを通して、
・「生き方」が変わっていくような、
・人生が深まっていくような、
そんな感覚があるんです。
今日はそんな、バス釣りの”道”(どう)、
すなわち、『バス釣り道』について
お話していきたいと思います。
「何言ってるのか訳わからん(笑)。。。」
みたいな感じになっちゃうかもしれませんが、
最後まで聞いていただけたら、
納得してもらえるところもあるんじゃないかなと思いますので、
ぜひ最後までお付き合いください。
では早速、本題に入っていきましょう!
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まずはじめに、”道”(どう)とは何なのか? ということについて。
”道”(どう)というものは、
終わりのないもの、ずっと練り上げていくもの。
僕の中ではそんなイメージです。
日々磨き続けて、学び続けて、練り上げていくもの。
「これで終わり、完成!」とかはなくて、どんどん練り上げていくものって感覚です。
例えば、
中国には「功夫(クンフー)」という武術があるのですが、
功夫(クンフー)は、一度基本さえ身に付いてしまえば、永遠に積み上がっていくものとされています。
基本的になくなることはありません。
そして、歩いているときでも、座っているときでも、寝ているときでさえも、
日常の全ての時間を使って、功夫(クンフー)を積み上げることができます。
時間を掛ければ掛けるほど、練り上げられていき、
普通に生きてるだけでも勝手に強くなっていく。
だから、功夫(クンフー)では、20歳の青年に60過ぎのおじいちゃんが勝ててしまったりもするようなのです。
” 一度基礎さえできてしまえば、永遠と伸び続ける 。”
僕はこの功夫(クンフー)の話を聞いたときに、
「バス釣りも同じやな。」
って思いました。
一度基礎ができてしまえば、ずっと伸び続ける。
そして、日々磨き続けて、学び続けて、練り上げていくって感じ。
バス釣りもまったく同じじゃあないでしょうか。
ちょっと話は逸れるかもしれませんが、
僕の場合、バス釣りをやってるときって、
けっこう ”自分の世界” に入りこんでいます。
見えない水中世界のこととか、魚のことに思いを馳せたり、
(水中の地形をイメージしたり、
今ちょうどルアーの後ろにバスがぴったり付いてきてて、ここで食ってきそうだな!
みたいなことをイメージしたり(妄想かな笑))
季節の変化を感じたり、
(それこそ五感をフルに使って、
目に見える草木とか水とかの自然の美しさを感じたり、
風の香りや水の匂いを鼻で感じたり、
肌に触れる風の温かさ、、、などなど。)
といった具合に、
自分だけの世界に入りこんでいます。
同じ釣り場でも、毎週〃〃でちょっとずつ季節は移ろっていっているし、
雨が降ったりすると、よけいにそんな季節の変化が感じられたりします。
これはバス釣りをやってないときも同じで、
街を歩いてるときなんかでも、
ふとしたときに、
「昨日よりちょっと肌寒くなってきたかな。」とか、
「今、東から風が吹いてきて風向き変わったな。」とか、
ちょっと身の回りの自然の変化に敏感になっていきました。
身の回りにある自然の美しさをより感じ取れるようになって、
バス釣りをやってることで、なんか毎日の幸せ度がアップしたなあって気がしています。
バス釣りが日々の生活に活かされるし、日々の生活もバス釣りに活かされる。
こうやって考えてみると、バス釣りって、けっこう ”精神的な” 営みですよね。
そうやって、バス釣りをやっていて自分の世界へ入りこんでいったとき、
ふとした瞬間、時間も忘れて、周りの音も聞こえなくなっていき、
とっても深く集中したところに入っていけることがあります。
自分の意識をすーっと海の底の深いところへ沈めていくような感覚。
どんどん、どんどん深く深く潜っていくと、次第に心は穏やかになり、
そこにはとてもきれいな景色が待っています。
静かで、海面から照らされた光がきらきらと輝いている場所。
これが心理学にいう、いわゆる『FLOW(フロー)』という状態なんじゃないかなと思います。
『FLOW(フロー)』
それは精神の『没頭状態』。
その瞬間、個人は忘我し、喜びを経験します。
ヒトは、なにかに集中し、時間も忘れて夢中になることがあります。
その行為を楽しみ、脳がワクワクしている状態。
簡単に言えば、それが 『FLOW(フロー)』です。
たとえば、将棋の棋士が対局中に感じることもあれば、
レジ打ちのアルバイトが体感することもあるし、
プログラミング、登山、楽器の演奏や芸術活動など、
それは規模の大小にかかわらず個人の意識の中で起こるものです。
そして、この『FLOW(フロー)』という心理状態は、
バス釣りにおいても例外ではありません。
バス釣りやってると、とても楽しくなってきて、時間も忘れて夢中で釣りしてて、
そのあとに、自然で心地のよい疲れを感じたこと。
これってきっと、みなさんにも経験ありますよね。
僕の場合、数年前に1年間の『スピナーベイト縛り』というのをやったことがあるのですが、
これはまあ文字通り、1年間どんなときでもスピナーベイトしか使わないという制約で、このときはフローに入りやすかったような気がします。
スピナーベイトだけを投げて巻いて、投げて巻いて、、、の繰り返し。
これを1日中やってると、無心になれました。
ひたすらスピナーベイトだけを投げ続けていると、
次第に周りのざわめきが聞こえなくなっていき、周りがスローに見えてきます。
とても静かな感じです。
何かを狙うのでもなく、考えるのでもなく、感じるままにルアーを放っていく。
手の感覚も敏感になって、ロッドやリールに手に伝わってる振動、感触から、
スピナーベイトのブレードの1回転、1回転が感じられるような気がしてきます。
そして、なんとなく魚が後ろに付いたかなっていうのも分かって、
そしたら、今ここで食いそう!ってビビッと感じたときに、
やっぱりそこでアタリがある。
「超気持ちイイ・・・!!!」
そんな感じです。
こんな感じで『FLOW(フロー)』に入れるところに、
バス釣りが ”道”(どう)に通ずるところがあるよなあと感じているんです。
バス釣りをやってて、『無心』になる。
待つのでも、考えるのでも、感じるのでもなく、意欲するのでもなく、
落ち着いていて、呼吸は整っていて、あらゆる刺激から自らを閉じて、自然に身を委(ゆだ)ねるような感覚。
自分じゃない誰が、僕の代わりにルアーを投げて巻いてるような感じがしてきます。
そんな深い集中の精神状態。
なにかに集中し、時間も忘れて夢中になること。
それが ”道”(どう)なのかなと思います。
まあ、そんなに難しく考えすぎる必要もなくて、
わたしたち日本人は、小さい頃から何かしらの ”道” に触れて生きてきています。
書道とか、剣道とか、弓道、茶道、華道、、、とか。
みなさんも学生の頃とかに何かしら経験はあるはずです。
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”道”(どう)というものは、
あらゆる物事に通ずるものであって、
そこには、その人の「生き方(世界観)」が詰まっている。
”道”(どう)を極めるということは、
単に技術を伸ばすだけではなく、
それを通して、
・「生き方(世界観)」を変えていく、
・人生を深めていく、ということ。
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僕はある人からそんなふうに ”道”(どう)を教わりました。
バス釣りだって同じです。
バス釣りを通じて、”道”(どう)を極めるということは、
単に、釣りの技術(テクニック、ノウハウ)を伸ばすということ、
よく魚が釣れるようになるということだけではなくって、
ちょっと大袈裟かもしれませんが、
バス釣りを通して、「生き方」を変えていくということ、
人生を深めていくということなのかなと思います。
『道を極めた人が辿り着くところは、みんな同じ。』
鬼滅の刃でも、最強の剣士 継国 縁壱(つぎくに よりいち)さんが、
そんなことを言っていました。
バス釣りを極めていくことで、
・日々の考え方が変わったり、
・人生観、人生そのものが変わっていくような、
そんなバス釣りをやっていきたいなと思ったところです。
結論、今日は何が言いたかったのかというと、
バス釣りって、ほんとうにすんばらしい遊びだよね。
ってことです。
とはいえ、僕も、まだまだ技術的にも精神的にも未熟者です。
これからもたくさん釣りに行って、自然をよく観察し、あれやこれやと試行錯誤し、楽しみつつも修練を積んでいきたいなと思います。
『バス釣り”道”』
これは終わりない道です。
これからもこの人生でバス釣りに出会えたこと、釣り仲間に恵まれていることに感謝して、
日々バス釣りを楽しんでいきたいですね!
あまり脈略のない話になってしまったかもしれませんが、
最後までお付き合いいただきありがとうございました。