はじめまして、やました といいます。
このページでは、このサイトの筆者であり、
バス釣りに人生を翻弄され続けてきたひとりの男、
やました の人生ストーリーについて、語っていきます。
と、その前に、まずは簡単に自己紹介させてください。
【やました の自己紹介】
・1996年2月29日生まれ 29歳(2025年5月現在)
・大阪府泉佐野市在住(佐賀県出身)
・バス釣り歴10年程
・泉州、和歌山の野池、紀ノ川でよく釣りしてます。
・おかっぱり(岸釣り)メイン
・好きなルアー:スピナーベイト
・好きなメーカー:メガバス、デプス、OSP
・普段は会社員をしながら、休日にバス釣りを楽しんでいるサンデーアングラーです。
・仕事:会社員(機械メーカーの営業・開発職)
・これまでの仕事:公務員、釣り具メーカー など
「一度きりの人生、どうせなら、大好きなバス釣りを仕事にしてみたい!!!」
と想って、だいぶいろいろと人生を迷走してきましたが、、、
今はふつうのサラリーマンに落ち着いていて、
週末に釣りに行くのが楽しみな、よくありがちなサンデーアングラーです。
とはいえ、相変わらず、寝ても覚めてもバス釣りやブラックバスのことばかり考えている釣りキチであることに変わりはありません(笑)。
僕の釣りのモットーは、なにより楽しむこと!
流行りに流されすぎず、自分が好きで本当にいいなって思えるルアーや釣り方で、
気持ち良く釣りするのを大事にしています。
つまり、自分が心から楽しいって思える釣りをしていこうってことです。
さて、前置きが長くなりましたが、
ここから、
進学、就職、転職など、人生のいろんな転機の全てをバス釣りに方向づけられてきた、僕の人生ストーリーについて語っていきます。
幼少期
物心ついた頃からずっと魚が好きで、魚の図鑑を夢中で観ている子どもでした。
特に、オイカワやタナゴ、フナ、ドジョウなど、日本の淡水魚が大好きで、
それらの写真を飽きもせずにずっと観ていました。
「魚ってきれいだな」、「いろんな色や形の魚がいてすごいな」、「なんか好き…」って感じに魅了されてました。

小学生時代
小学校3年生のときに、クラスの友人が水路でフナ釣りしてることを知りました。
カズヒサ君っていいます。
そこで、カズヒサ君にお願いして、一緒に釣りに連れてってもらうことにしました。
それが僕にとって初めての釣りとなります。
僕が生まれ育った佐賀県は、そこら中に水路(クリークっていいます。)が張り巡らされていて、どこでも魚採りや釣りを楽しむことができます。
今思い返しても、僕にとってまさに夢のような、とっても恵まれたところで生まれ育ったなあと思います。

釣りの約束をした日、学校が終わると急いで走ってお家に帰って、そのまま自転車に乗ってカズヒサ君の家へと直行します。
ちなみに、カズヒサ君も、根っからの魚好き、釣り好きで、
休日はお父さんとよく釣りに行っていたり、
家では和金とかランチュウとか、いろんな種類の金魚をたくさん飼っていて(その数なんと100匹以上!)、
家の庭には金魚を飼ってるおっきな桶がたくさんあって、まるで魚の養殖屋さんみたいな感じになっていました(笑)。
カズヒサ君の家で釣り道具一式を借りて、一緒にクリークへと向かいます。
道中、「こうやって釣るんだよ」とか「こんな水門とかで釣れやすいんだよー」ってレクチャーを受けながら、チャリを漕ぎ進めていきます。
はやく釣りやってみたいな!ってドキドキ、ワクワク、ウズウズしてきて、チャリを漕ぐ足にも力が入ります。
目的のポイントへと到着すると、さっそく準備に取り掛かりました。
釣り竿を伸ばして、竿に糸を結んで、仕掛けを取り付けて、、、結構大変です。
糸の結び方とか、ハリにミミズを付けるのとか、カズヒサ君に教えてもらいながらやってはみるものの、なかなか最初からうまくはできません。
結局、全部カズヒサ君にやってもらって、、、(笑)
まあ、準備完了!
なにはともあれ、これで釣りがスタートできます。
。。。
釣り始めてみると、意外とすぐに反応があって、スーッとウキが横へ走り出しました。
すかさず竿を持ち上げようとするも、
「待ってっ!!!」
と、カズヒサ君から止められてしまいます。
「まだしっかり食ってないけん、もうちょい待たんば釣れんばい!」
って教えてくれました。
それで、一呼吸おいて、浮きが完全に水中に沈むまで待ってから引っ張ってみると、
、、、ブルブルッ
と、手元に魚の感触が伝わってきました。
初めての生きた魚の感触です。
何が釣れたのかなってドキドキしながら引っ張り上げてみると、、、
そこには、小さいながら銀色にキラキラと輝く、きれいなギンブナが。

意外とあっさり釣れてしまった、人生初めてのフナ。
それまでは、僕にとって ”観る” 対象でしかなかった魚。
ですが、このとき ”釣り” という遊びを通して、はじめて魚の ”命” を感じました。
釣り糸を通して手に伝わってくる、ブルブルッとした魚の生命感。
今でも鮮明に頭の中に残っている、大事な大事な原体験です。
ちょっと余談にはなりますが、
小学生のときにうちの物置小屋の奥底を漁っていると、
川釣り道具一式が出てきたことがありました。
それも、かっこいいイエローの釣り竿に、糸とか、ハリとか、ウキとか、まだまだ使えそうなきれいなものばかり。
家族に釣りをする人はいなかったので不思議に思いましたが、
母親に聞いてみると、どうやら亡くなったひいじいちゃんのものだったみたいです。

「やっぱり僕の中にも釣り好きの血が流れていたんだ!!!」
と、小学生ながら、釣りに対して運命的なものを感じた瞬間でした。
中学時代 ~バス釣りと出会う~
ぼくとバス釣りの出会いは、中学生のころに遡ります。
バス釣りの存在自体は、小学生の頃から知ってはいたものの、
身近にバス釣りできるところがなかったので、バス釣りにはあんまり興味を持っていませんでした。
↓こちらは、小学校の図書館で見たことある釣りキチ三平の釣り教科書。
なつかしい。。。みなさんの学校にも置いてなかったですか?
ですが、中学生になって行動範囲が広がるようになると、
これまたカズヒサ君と一緒に、チャリで山の方のため池へバス釣りに出掛けるようになります。
当時の僕にとって、ブラックバスは図鑑でした観たことがなく、
ほんとに実在するのかな?みたいな感じの幻の魚的なイメージがありました。
だから、一目見てみたい!って思って、休日になるとちょくちょくバス釣りに出掛けてはいたのですが、
なかなかブラックバスにお目にかかることはありませんでした。。。泣
みなさんも、バス釣り始めたばかりの頃って、
なかなかバスを見かけるの難しくなかったですか?
(そんなこともないですか??(汗))
とはいえ、そんな僕にも一度だけ、ブラックバスを手にする千載一遇のビッグチャンスがありました。
これは僕にとってのバス釣り原体験となっています。
それは、中学2年生の頃、とある土曜日の朝のことでした。
朝の8時くらいだったでしょうか。
その時も、いつものよく行くため池でバス釣りしていました。
一番下流側、堰堤の斜め護岸のブロックの上に立って、岸際を狙ってシャッドプラグを投げていました。
↓こんなやつ
これはソウルシャッド58SP(ジャッカル)。
実際に使ったのはこのソウルシャッドではなくて、
当時、釣具屋のレジ横でワゴンセールされていた、よく分からないメーカーのパチモノだったと思います。
で、それはたまたまだったのですが、
岸際すれすれドンピシャのいいところにキャストが決まりました。
その瞬間、「何か釣れそう・・・」って予感があったのを覚えています。
ルアーを引いてくると、コツコツとルアーがブロックに当たる心地よい感覚が手に伝わってきます。
すると突然、ズシンッと竿に重みが乗りました。
「えっ、何だ?!」
一瞬、何が起こったのか分からず、手が止まってしまいます。
その間にも、糸は沖の方へとぐんぐん持っていかれています。
「・・・」
ワンテンポ遅れて、
「釣れとるっ!!!」って気づきました。
慌てて糸をグリグリ巻きます。
魚に引っ張られ、竿はギュンギュンにしなり、あまりの重さに糸もうまく巻き取れません。
未知なる魚の強烈な引きに、僕はもうアドレナリン全開です。
「これはとんでもない魚が来てる。。。」
「一体どんなバケモノだ。。。」
「はやくその姿を見せてくれ!!!」
そんなことを思いながら、一生懸命、糸を巻き取っていると、
バシャンッ
と、バスが水面を割ってジャンプ!!!
ついにその姿を現しました。
40cm超えの、丸々としたラグビーボールみたいな形のデカバスでした。
ですが、喜びも束の間、
次の瞬間にはフッと魚の重みが消えてしまいました。
バスのジャンプでルアーを外されてしまったのです。
「あぁ。。。」
しばらくの間、その場に呆然と立ち尽すことしかできませんでした。
あの巨体と、ジャンプしたときの激しい水しぶき。
手足が震えるほどの大興奮でした。
家に帰ってからもあのときのワンシーンが脳裏に焼き付いて離れなくて、
「はやくまた釣りに行きたいっ!!!」って夜も眠れなくなってました。
これが、今も夢に見ることがある、僕のバス釣り原体験です。

そこから、僕のバス釣り熱もぐんぐん加速・・・
かと思いきや、
中学校での部活の卓球、高校でも部活や受験勉強などが猛烈に忙しくて、
中学、高校時代は、バス釣りはたまのお遊び程度となってしまいました。。。
大学受験に失敗し予備校へ
その後、大学受験に失敗し、高校卒業後の1年間は予備校へ通わせてもらうのですが、
ここでもまた、バス釣り好きの友達ができました。
それが、よしむら君です。
つくづく、なにかとバス釣り仲間に恵まれてる人生だなあと思います。
本当にありがたいことです。
よしむら君も、小学校の頃からずっとバス釣りをやってきていて、
ロッド&リールとか、ルアーマガジンとか、バス釣りの専門誌も読みこんで
バス釣りにめっちゃハマってるヤツでした。
僕よりもめっちゃバス釣りに詳しくて、
「ワイルドハンチいいよ」とか、「Dゾーンめっちゃ釣れるよ~」とか、
ルアーのことをいっぱい教えてくれました。
再びバス釣りの楽しさを思い出してしまった僕は、
受験勉強に専念しなければならないにもかかわらず、
通学のためとの名目で(本当は釣りのために、、、)親に原チャリを買ってもらい、
土日は日の出から日没までバス釣り三昧。
ヨシムラ君と釣りに行くこともしばしば。

真面目に勉強しろよって話ですが、
羽目を外すほどではなかったと思っていて、
もちろん、平日は朝から晩まで勉強に専念していました。
結果的にうまくいって、僕もよしむら君も無事、志望校に合格することができました。
バス釣りと勉強のメリハリをつけてうまく両立できてたんじゃないかなと、我ながらではありますが思っています。
ちなみに、完全に偶然のたまたまなのですが、よしむら君とは志望校も学科も全く同じで(機械系です)、
大学に入ってからも付き合いは続いていきます。
やっぱり根っからの似た者同士だったみたいです(笑)。
バス釣り熱に火が付いた大学時代
大学に入ってからは、車を運転できるようになり、時間もたくさんあったので、
バス釣り漬けの毎日となります。
これまでの人生で一番釣りする時間があったのが、この頃でした。
朝は野池で釣りしてから大学へ行き、昼間でも授業の空きコマがあれば大学付近の川へ出掛けて釣りしてました。
そして、夜は居酒屋でバイトです。
週末も、釣り仲間と一緒に釣り&釣具屋巡り。そして、夜は居酒屋でバイト。
空いている時間は釣りに行きまくり、入ったお金は釣り具代に溶けていく、
そんなバス釣り中心の毎日は超楽しいものでした。
ちょうどこの頃、僕の生まれ故郷、佐賀の「釣りよか」がかなり有名になってきていました。
僕も「釣りよか」と自分を重ねて、仲間とワイワイ釣りしてました。
「来週はあそこに行ってみよっか!」とか、
「今度の新作ルアー、あの池にめっちゃ良さそうやない!?買わんばね!!」とか、
「あの竿欲しい~、あのリールもいいよね~~。バイトがんばるかー(笑)」とか、
釣りの話ばっかして盛り上がってました。
仲間とバス釣りに没頭した、僕の青春です。
今でもあの頃の思い出が僕の中でキラキラしています。

師匠との出会い
そんなバス釣り漬けの毎日を送っていた大学4年生の頃に、
僕にとってのバス釣りの師匠で、今でも仲良くさせてもらっている、フジセさん との出会いもありました。
師匠からは、バス釣りの奥深くておもしろい世界を覗かせてもらい、
その後の僕の人生の方向性にかなり大きな影響をもたらしてくれました。
フジセさんはバス釣り歴20年以上、かなりのバス釣り名人です。
よく釣りしていた池でよく会ううちに仲良くなり、
気づいたら、一緒に釣りして一緒に釣り具屋巡りするような仲になっていました(笑)。
僕は、フジセさんと出会う前から、多少なりとも自分のバス釣りの腕前には自信を持っていました。
なにせ、幼い頃からずっと釣りが好きだったので。
ですが、フジセさんと釣りの話をしたり、隣でフジセさんの釣りを見たりしていると思い知らされました、
僕はまだまだだったんだってことに。
「ああ、僕は技術も知識も経験も足りてなさすぎるな。」
「まだまだ、上には上がいるんだな。」
って気づきました。
もっと釣れるようになりたい!、バス釣りのおもしろさのもっと奥深いところに触れてみたい!っていう、
バス釣りの探求の道に終わりはないのだなと感じました。
まさに、バス釣りに ”道” を見出したのです。

フジセさんは、
「いかにして、もっと大きな魚を、もっとたくさん、釣っていくか?」
ということを、技術の面でも知識の面でも、僕よりもずっとずっと深く考えて、日々試行錯誤されていました。
たとえば、
まずは技術面からいうと、
師匠は、より多くの魚を釣っていくための一つの要素として、
『いかに遠くへルアーを投げれるか』が大事だと考えられていました。
魚目線で考えたときに、いつもはルアーが飛んでこないようなところにいるバスは、警戒心が薄まっているし、スレていないから釣れやすいだろうという考えからです。
そして、より遠くへ投げるための投げ方や、タックルバランス(ロッド、ライン(糸)、リールなど、道具のバランス)など、自分に最適なところを追求し続けられていました。
実際、いつもその場にいる誰よりも遠くへ、誰も届かないところへルアーを投げ、
数多くのデカバスを仕留められていたのです。
また、もうひとつ例を挙げると、
より多くの魚を釣っていくために、
『いかにルアーから不自然さを排除するか』という点もかなり重要視されていました。
ルアーを引いてくるときのコース取りやラインの張り具合、ラインの捌き方など、
これでもかってくらい吟味、試行錯誤されていたのです。
「このコースでルアーを引いてくる場合、バスはこっちの方から追ってきて、このあたりでエサを追い込んで食べるから~~」
みたいな、”狙って釣る” という考え方を教わり、
バス釣りのさらなる奥深いおもしろさを、バス釣りのさらなる次のステージを感じさせてもらった気がしています。
次に、知識面でいえば、
「その池で、おっきいバスは何をよく食べてるんだろうか?」
→「エビ?ドンコ?ブルーギル? はたまた、カエル?」
みたいなことや、
「おっきいバスはどんな生活リズムを持っているのか?」
「何時頃に浅場へやってきてエサを食べてるんだろうか。そして、その場所はどの辺だろうか?」
みたいなことを、
フィールドをよくよく細かいところまで観察して、推測されていました。
魚のボイルやちょっとした水面のもわっとした感じなどの、目に見える魚やエビなどの生き物の挙動、
そして、日光や風、温度など気候の変化も合わせて、フィールド全体からなにか動きを察知して、
釣りどころを探されていました。
そして、それらの推論は大きくは外れてはなかったんだと思います。
なぜなら、フジセさんは僕が釣れていない中でも、隣でばんばんバスを釣り上げられることがよくありましたので。
しかも、50㎝近くのデカバスをたくさん。。。

師匠は、ちゃんと自分なりに狙いどきや狙いどころの照準を合わせて釣りしてたから、あんなに釣れてたんだろうなって思います。
最初は魔法みたいで不思議だなってしか思えませんでしたが、
今なら、ひとつひとつの考察、探求、試行錯誤の積み重ねによる必然的な結果なんだなって分かります。
「凄い人って、ここまでやってるんだ!!!」
「バス釣りっておもしろすぎる!!」
「自分もこうなりたい!」
って、めちゃめちゃワクワクさせてもらいました。
ほんとに師匠は ”観察眼” がずば抜けてるんだなと思います。
”答えは全部フィールドにある” ってことを教わりました。
また、師匠からは、魚が釣れた時にこそ、「なぜ釣れたのか?」をしっかり考察することが大切だということも教わりました。
「釣れたのは、風、日差し、水の流れなど、なにか変化が起きたタイミングだったか?」とか、
「バスはどっちから追いこんできて、どこでルアーを食べたか?」、
「そして、ルアーにバイトした後、どっちの方向へ泳いでいったか?」、
などなど。
釣れたことを喜ぶのももちろん大切だけど、それだけだともったいなくて、
釣れた時にこそ釣れてない時以上に、「なぜ釣れたのか?」ってことを考察することの重要性を教わりました。
まだまだたくさん教わってきたことはあるのですが、
またそれは別の機会にでもお話しできればと思います。
大学卒業後、地元佐賀で公務員になる
大学卒業後は、地元の佐賀県で公務員になりました。
家から車で15分圏内にバス釣りできるため池が10個以上あって、まさにバス釣り天国だったし、
食べ物はおいしいくて、人も温かくて、自然も豊かで、
ゆったりした時間が流れている、地元佐賀のことが大好きだったり
(もちろん大阪に来た今でも大好きです!!)、
ということもあって、
このときは、これからの人生、ずっと佐賀で生きていこうって思っていました。
そう考えたときに、地元で、手堅く安定していて、転勤もない仕事といえば、
『公務員』なのかなあって感じで、公務員になります。
そして、平日はチャキチャキ仕事に精を出し、土日はバス釣り三昧っていう、
思い描いたとおりの、将来安泰な生活を手に入れました。

公務員退職。安定を捨てて、夢へ挑戦
そんな生活を3年ほど送っていたのですが、
ふとしたときに、
「このままでもいいんだけど、なんかつまんないな。」
「土日しか釣りできないの嫌だな、もっとバス釣りしたいな。」
と思うようになりました。
そして、
「どうせ一度きりの人生なんだし、
しかも、せっかく ”バス釣り” っていう本当に好きなこと、心から没頭できることがあるんだから、
バス釣りを仕事にするってのはどうだろう?」
「そしたら、仕事も趣味も、暮らしの全部が思い通り!バス釣り中心の生活になって、もっと楽しいかも!」
とか、考えるようになりました。
また、そろそろ親元を離れて自立したいなっていうのもありました。

そこで、釣り関係の仕事で何があるんだろう? 僕には何ができるのかな?って考えていったときに、
もともと手を動かして何かモノを作ったり、黙々と作業したりすること、
プラモデル作り、みたいなことが大好きだったので、
ルアーや釣り具開発の仕事ができたらおもしろそうだなって思いました。
いろんな転職サイトや、いろんな釣り具メーカーのHPをチェックして、
ルアー、釣り具開発の求人を探していきます。
そして、全国どこでもいいからと思って、求人のある釣り具メーカー、ルアーメーカーにかたっぱしから申し込んでいきました。
当時(2020年)は、コロナ禍で釣りブームということもあり、釣り関連の求人がたくさんあったんです。
それはまあ運が良かったなと、今でも思っています。
だからといって、そんな簡単に、思い通りにいくはずはなくて、
なかなかいい返事をもらうことはできませんでした。
ただ、あきらめず、夢のためだと思って、
求人に応募してはエントリーシートを書き直して、面接を受けて、、、ってのをがむしゃらに繰り返して、だんだんブラッシュアップしていくと、
運よく(本当に運よく!!)、なんと、大手釣り具メーカーから、企画・開発職への内定をいただくことができました。

心の底から大好きな魚釣りの仕事、
しかも、夢にまで見た、釣り道具を作る仕事に就くことができて、
もう僕にとってはこれ以上ない人生が手に入ったんだと、
このとき、僕は希望で満ち溢れていました。
暗黒時代

ここまでの僕の人生、一見、順風満帆そうに見えるのではないかと思うのですが、
ここから一転、暗黒時代に突入してしまいます。
(正確に言うと、その兆しは、公務員時代からあったのかもしれませんが、、、)
これもなにかのいい機会だと思うので、赤裸々に語っていきたいと思います。
今となってもあのときの罪悪感がフラッシュバックするほどの、
僕にとってのトラウマとなっている時代です。。。
詳しくは、後述するのですが、
このときの僕は、公務員になれたり、釣り具メーカーで働くことができたりと、
何でもかんでも思い通りにうまくいきすぎて(今思えば、スタート地点に立っただけのほんの小さな小さな成功でしかないとは思うのですが、、、)、
天狗になっていました。
思い上がって、どんどん傲慢に、自分勝手になって、暴走モードに入ってしまったのです。
(それも、当時の僕にとっては、それがベストだと思ってやっていたのです、今となっては信じられませんが。
お恥ずかしい限りです。)
自分にしか矢印を向けられていなかった、僕の暗黒時代。
思い上がり、若気の至り、焦り、不安、傲慢、とか、、、
いろいろありました。
親も仲間も、大事な人たちも、ことごとく裏切るようなひどいことをしてしまったと思います。
気付いたときには、仕事も、釣りも、人間関係も、その他いろんなことも含めて、
人生の全部がボロボロに壊れてしまったように感じられました。
僕の暗黒時代については、また後程詳しくお話ししていきます。
釣り具メーカーでのお仕事

釣り好きのみなさんにとっては、まさに夢のような仕事をさせていただいていたのではないかと思います。
釣り道具の企画、開発のお仕事で、主に、図面の作成や試作品の制作を行っていました。
実釣テストや釣り番組のロケなどにも行かせてもらいました。
企画のお仕事は、CAD(コンピュータで設計や製図を行うツール)を使ってルアーやジグヘッド、メタルジグなどの図面を描き(先に手作りで試作品を作ってから図面を描く場合もありました)、
それをもとに、手作りや3Dプリンタを使ったり、鉛鋳造をしたりして、
試作品として形にしていきます。
試作品の手作りのときには、
ワイヤーを手で曲げてタコエギを作ったり、
鮎とかキスとかアジとか、いろんな釣りの仕掛けを結んで作ったり、、、
みたいなこともさせてもらいました。
次は、そうやって形になった試作品をテストしていきます。
大きな回流水槽(水の流れを作り出せる水槽)で泳がせてみたり、実釣テストに行って実際に釣りしてみたりして、
使い物になるかどうか、使用感や強度、魚からの反応などをチェックしていきます。
で、そこで見つかった改善点を修正し、
みんなで意見を出し合ってさらに改善し、
試作品をどんどんブラッシュアップしていきます。
僕が釣り具メーカーで働いてみて、一番驚いたことのひとつが、
企画から製品になるまでのスピード感かもしれません。
試作品がある程度固まってきて、
よしっ、もうこれでいこうってなってきてからの、
パッケージの仕様(デザインや梱包などの仕様)決め、量産体制の調整など、
試作段階から製品が実際に店頭で売られる形になるまでのスピード感が超早いなと感じました。
これが他社と鎬(しのぎ)を削るビジネスの世界線なんだなと、
工場の職人さんたち、量産管理されてる方たち、事務管理されてる方たち、そして企画開発のメンバーなどなど、
みんなプロだなって感動しました。
また、実釣テストでは、仕事を通して、いろんな釣りを経験させてもらいました。
船でジギングやタイラバにはよく行きました。
他にも、太刀魚、シーバス、鮎、キス釣りなどなど、
数えられないくらいたくさん釣りに行かせてもらいました。(仕事なのに!大変ありがたいです。)
フィッシングショーのときには実際にブースに立たせてもらい、
足を運んでくださったお客さまに対して製品説明をさせてもらいました。
これも、こちらから説明するばかりってわけではなくて、
たくさんの方々が、自身の釣り愛や製品への愛に溢れたエピソードを聞かせてくれました。
年齢も性別も立場とかも関係なく、みんなが夢中に楽しめる「釣り」って、ほんとに素敵な遊びだなって、
改めて強く感じました。
・・・
ここまで釣り具メーカーでやってたお仕事について話してきましたが、
釣り好きの人からしたらまさに夢のような仕事ですよね。。。
なにより、仕事はめっちゃ楽しかったんです。
それなのに、どうしてやめちゃったの・・・??
って、みんな不思議になったのではないでしょうか。
僕自身、ここまでの話を聞いていたら、そう思って当然だと思います。
ただ、このときの僕は絶頂感を感じて、調子に乗ってしまっていました。
「オレって今、最高じゃん!」、
「何でもできる!」、「何にでもなれる!!」
っていう、高揚感、万能感に酔いしれていたのです。
全然そんな実力はないのに、、、です。
そして、どんどん感覚がバグっていきました。
思い上がり、傲慢で、自分勝手の暴走モード。
自分にとって本当に大事なモノや、まわりへの感謝の気持ちが分からなくなってしまっていました。
YouTubeの釣り動画にハマる

ちょうどこのとき、YouTubeのバス釣り動画にハマっていました。
釣りよかとか、俺達チャンネル(秦拓馬さん)とか、Kさん、マスゲンさんとか、
バス釣りのチャンネルをメインに、エンドレスで食い入るように動画を観漁っていました。
釣りの動画って、まるで自分が釣りしてるような気分になれて楽しいし、
「今度釣り行ったときは、自分もこんなふうにやってみよう!」ってワクワクさせられておもしろいんですよね~。
そして、今まで知らなかったルアーの使い方や場所の選び方、ブラックバスの生態など、
目からウロコの情報で溢れていて、どんどんバス釣りの知識が増えていって、
それもまた、楽しかったんですよね。
そんなこんなで、釣り自体には僕もたくさん行っている方だと思っていたので、
いつしか、
「自分でも釣り動画を作ってみよっかな。」
って思うようになっていったんです。
まずは、動画編集についていろいろ勉強し、その道に詳しい人にも教わりながらやっていき、
GoProとか編集ソフトとか、ちゃんとした機材も揃えて、
ついには、自分で動画を作れるようになりました。
ここまでは何の問題もないですよね。
でも、ここからです。
で、そのとき、WEB系フリーランスっていう働き方があることを知ったのです。
会社に属さず自分で仕事を獲ってきて、動画編集やったり、SNSを運用したり、デザインを作ったりして、
収入を得るっていう働き方です。
場所にも時間にも縛られずに自分のペースで仕事ができるってところがとても魅力的に見えました。
「自分もこんなふうにWEBのフリーランスになれたら、毎日釣りができるぞ!」
「時間にも縛られないで、どこでも釣りに行けるぞ!」
「今よりもっともっと釣りができるようになるぞ!!」
って、夢みたいな生活が実際にできるんだなって思ったんです。
また、そんな心理状態でSNSとかを眺めても、WEBのフリーランスの人たち、みんながみんなうまくいってるように映ってしまうものです。
(どの業界でもそうだと思うのですが、そんなに甘い話はありません。WEBフリーランスも厳しい業界だと今では思っています。)
よしやるぞ!って決めてからの行動は速くて、
友達とか、職場の仲間、先輩、上司たちが、
「公務員辞めてまでやりたかった釣り具メーカーの仕事なのに、ほんとに辞めて大丈夫なんか!?」
「もうちょっと時間おいて考えたほうがいいんじゃない?、様子見たがいいよ。」とか、
「釣り具の企画・開発の仕事って、みんながみんなやりたくてもできる仕事じゃないんだからもったいないよ。」
って、
せっかく、みんなが僕のためを思って、心配、反対してくれたにも関わらず、
それらの声を全部振り払って、
勢い任せに、釣り具メーカーの仕事を辞めて、
WEBフリーランスとして活動していくことになります。
今、冷静になって考えてみると、
傲慢すぎるな、自分にしか矢印を向けられていなかったな、
自分さえ良ければいいって思ってたんだなって、
最悪だなと、つくづく反省しています。。。
だけど、やると決めたからには、WEBフリーランスとしての活動も、毎日必死でがんばりました。
当時は、部屋に籠りっきりで、食事、寝る、ちょっとした休憩以外の時間は全て、動画編集などの作業をひたすらやっていました。
すると、3ヵ月くらい経った頃からどんどん仕事も獲れるようになり、
収入も会社員の頃と同じくらいまで伸ばすことができました。
これから先も、どんどん収入を増やせるビジョンまで視えていました。
また、平日も土日も関係なく、好きなときに釣りできるようにもなっていったんです。
まあまあ順調だったのではないかと思うのですが、
これまた実際にWEBフリーランスとしてやってみて感じたことですが、
「これをずっとやっていくのはなんか違うな。」
って思いました。
誰とも会わず、部屋に籠ってのひとり作業。
孤独感や虚しさ、なんか分かんないけど漠然とした将来への不安みたいなものが、
どんどん膨らんでいき、耐えられなくなっていきました。
真っ暗闇のどん底にいるような気分で、
正直、この頃は生きてて全然楽しくなかったと思います。
でも、これもまた今となっては、ほんとに自分勝手な話だよなって思います。
もう呆れちゃいますよね。トホホです。。。
僕は元々、個人主義というか、「自分さえ良ければそれでいいや。。。」みたいな考え方が強かったのかなと思います。
そこに、『時間もお金も、場所にも縛られないで、ラクして自由に生きていける。』みたいなWEB業界への ”幻想” も折り重なって、
こんな間違った方向へ、ダークサイドへ突き進んでいってしまいました。
「僕はなんて大バカ者なんだ。。。」
仕事も、好きな釣りも、人間関係も、、、
全部がボロボロになって、ようやく気づくことができました。
そして、僕の中でアイデンティティクライシスも起こります。
「大好きなはずの ”バス釣り” なのに、
バス釣りを追い求めてきた結果、
逆にどんどん幸せから遠ざかってしまってはいないだろうか?」
「僕の人生、バス釣りが全てだと思ってたけど、
本当に大事なモノはそうじゃなかったのかも。。。」
って、思うようになっていきました。
かつての勘違いしていた僕は完全に打ち砕かれ、いっぺん死んだんだと思います。
これまで大事だと思っていたモノがガラガラと崩れ落ちたんです。
だけど、その先には、これまでに見たことのない ”光” がありました。

自分の無力さや愚かさ、ひとりでは何もできないんだってことに気付かされて、
自分にとって本当に大事なモノや、まわりへの感謝の気持ちが分かるようになったのです。
あの暗黒時代があったおかげで、僕は新しく生まれ変わることができたんだと、今では思うことができています。
一番大事なのは、僕に関わってくれる人たちとの ”縁” や ”繋がり” なんだって分かったんです。

あのときの僕は、家族とか、友達とか、職場の方々とか、
せっかく関わってくれているたくさんの人たちを裏切ってしまい、迷惑掛けっぱなしだったと思います。
みなさん、心から本当にすみませんでした。
謝っても謝りきれません。
そして、今
「もう一回がんばってみよう、やり直したい!」
「釣り具メーカーのときみたいに、またみんなでモノづくりの仕事をやりたいな。」
っていう思いがどんどん強くなっていき、
今は、機械系メーカーの企画、開発、営業の仕事で再出発を切りました。
先輩、上司、仲間など、みんなとのつながりを一番大切に、毎日がんばっているところです!
その傍らで、
週末にバス釣りも楽しんでる感じなのですが、
「バス釣り仲間の輪をもっと広げたい!」
ここ泉州、和歌山だけと言わず、
全国いろんなところにバス釣り仲間の輪ができて、一緒にバス釣り楽しめたらいいな
っていうのが、このサイトを立ち上げた一番の目的です。
なぜなら、これまでの僕の人生、たくさんのバス釣り仲間に恵まれてきたことが宝物なんだな。
本当にありがたいことで、これが豊かさなんだなって分かるようになったからです。
泉州、和歌山でのバス釣りの様子を発信することで、
これからバス釣りやってみたいなっていう初心者から、
長年やってこられたプロの方やベテランの方まで、
いろんな人たちとの ”バス釣りの輪” を広げていけたら嬉しいです。
また、
僕は、バス釣りのことが本当に大好きで、心から楽しい遊びだと思っていて、
これからもずっとバス釣りをやっていきたいし、
釣り場も残していきたい、増やせたらいいな。
と思っています。
現状、”バス釣り” に対する世間のイメージって、決して良いものとは言えないのかなと思います。
ブラックバスは外来魚で、在来魚を食いつくす悪者扱いされていますし(本当はそんなことないのに)、
釣り人のマナーも問題となっていますので。
ため池とかリザーバー(ダム)とかでも、どんどん釣り禁止になるところが増えていっています。
そして、一度釣り禁止になってしまうと、もう一度釣りが解禁されることはなかなか難しいものです。
でも、
・ルール、マナーをちゃんと守って
・自然を大切に
・未来のバス釣りを思いやって
釣りを楽しむ。
そんなバス釣り仲間がもっともっと増えていったら、
バス釣りとかブラックバスに対する世間のイメージももっと良くなっていくのかなあ、
なんて思ったりしています。
そんな仲間たちが増えていって、
ゆくゆくは、この ”バス釣り” という素晴らしい遊びを未来へ繋いでいくため、
ブラックバスやバス釣りに何か恩返しできるようなことができたらいいなと思っています。

バスが掛かったときのあの ”高揚感” 、
やり取りのときの ”緊張感” 、
そして、釣り上げたときの “万能感”
バス釣りは、良くも悪くも、人を狂わせます。(僕がそうだったように。)
ですが、僕はバス釣りと出会えて本当によかったな、人生が豊かになったなって心から思っています。
そんな素晴らしい ”バス釣り” という遊びをずっと楽しめる素敵な未来を、
みんなで一緒に作っていきましょう!
そして、なにより、みんなでバス釣りを楽しんでいきましょう!
以上です。
こんなに長い文章なのに最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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